商談の主導権について、営業担当者からよく聞く悩みは次の4つです。
- 顧客の話に流されて、商談をコントロールできない
- とはいえ、顧客をコントロールするのはおこがましい気がする
- 提案が刺さりきっていない感覚がある
- 「この商品いいね」と言われていたのに、最後に競合にひっくり返される
私自身、若手の頃はこの4点にかなり悩みました。その解決策として、多くの優秀な営業担当者から学び、自分なりに磨いて体系化したのが、この記事で紹介する「アンカリング」です。あわせて、商談の中で意図的に黙る「沈黙」の使い方も扱います。前者は2019年末、後者は2020年に書いたものを、一本にまとめ直しました。
この記事で書きたいのは、商談の主導権は生まれ持った話術ではなく、準備と実行に分解できる技術だということです。アンカリングは「顧客が商品を選ぶ判断基準を先に合意する」技術で、準備4項目と実行2項目に分けられます。沈黙は「顧客が自分で話し、考え、決めるための時間を確保する」技術で、使ってよい条件が3つあります。どちらも顧客を言いくるめるものではなく、中立的な立場を保ったまま、顧客に自分で決めてもらうための技術です。そして、分解できるということは、個人の腕に任せず、組織の商談の型やレビューに組み込めるということでもあります。営業責任者の方に向けて、その観点は最後の節に書きます。
アンカリングとは何か
アンカリングとは、顧客が商品を選ぶときの判断基準を設定することです。言い換えると、「商品選びで一番重要なのはこのポイントですよね」という合意を顧客と握ることです。
言葉はアンカー(船の錨)に ing を付けたものです。錨を下ろすことで船を望む位置に止めておけるように、営業担当者は顧客にアンカリングをかけることで商品購入の基準をつくり、自社が望む位置に商談をとどめておくことができます。商談の中で流れてしまいがちな話の着目点をセットし、コントロールしていくための技術です。
顧客は、多くの商品の中から一つを選ぶにあたって、さまざまな選択基準を持っています。コンビニで何気なく買う一本の水でも、たとえば次のような基準があります。
- 価格
- デザイン
- ブランドイメージ
- 内容量
- 機能性(成分)
この選択基準をコントロールしないまま「この水は安いですよ。買ってください」と勧めても、「いや、機能性がいまひとつでしょう」と別の基準で断られてしまいます。だからこそ、「どのポイントを重視して商品を選ぶべきか」という基準を、先に顧客と合意しておく必要があります。冒頭の4つの悩みのうち、「提案が刺さらない」「最後にひっくり返される」は、どちらも基準を合意しないまま提案していることから起きています。
商談をコントロールするとは
アンカリングを使いこなせるようになると、商談をコントロールできるようになります。狙った通りに提案が刺さるようになり、論点がぶれなくなります。
「顧客をコントロールするなど何様か」と思われるかもしれません。しかし、商談をきちんとコントロールしなければ、顧客も迷ってしまいます。自分の買いたいもの、必要な要件、その優先順位のすべてを完全に理解している顧客は、ほとんどいません。その分野について顧客との間に情報格差を持たない営業担当者は、プロとして求められなくなっていくと私は考えています。だからこそ、営業担当者は商談を通じて顧客をナビゲートする必要があり、そのための技術がアンカリングです。
ここでいう「商談をコントロールする」とは、顧客とアドリブで作り上げていく商談という物語について、事前に脚本を描いておき、大筋のストーリーから外れないように進めていくことです。これができると、次の効果があります。
- 提案時の差別化が刺さりやすくなる
- 他社の提案にひっくり返されなくなる
より正確には、「提案が刺さりやすくなるようにアンカリングする」「他社の提案にひっくり返されないようにアンカリングする」と言ったほうがよいかもしれません。
ナビゲートするための前提となる情報格差について、私自身の経験を少し書いておきます。外資系製薬会社でMRをしていた頃、顧客である医師は、知識も経験も営業担当者より上の存在でした。そこで私は毎日1〜2時間、自社製品に関連する疾患のニュースと、世界中の論文を読み続けました。それを続けるうちに、専門医とも対等に処方についてディスカッションできるようになりました。顧客は、自分が知りたいと思っている情報について営業担当者の側が情報格差を持っているときに信用します。アンカリングで基準を示せるのも、この信用があってこそです。
商談の全体像の中での位置づけ
私は商談の進め方を、4つのフェーズと10のポイントからなる型として2019年に整理しました。上から順に進むほど、比較対象として残る競合の数は減っていきます。
- Relationship(関係構築)
- 好感獲得:顧客から最低限嫌がられずに話を聞いてもらえる状態をつくる。理想は、好感を持たれ、かつ興味を持って聞いてもらえている状態
- プロとしてのポジション獲得:商品や業界について顧客との間に情報格差があることを示し、中立的にアドバイスすることでプロとしての信頼を得る
- Needs(ニーズの把握)
- ビジョン共有:商品選びのレベルから、理想とする生活や業務、生き方などのレイヤーに話を引き上げ、顧客の理想や夢を広げてもらうヒアリングでニーズを発掘する
- 問題点特定:現状の不満ポイントだけでなく、理想と現在のギャップを確認し、満たされていないニーズを確認する
- Control(商談のコントロール)
- 期待値調整:ニーズの把握で広げた風呂敷を畳むイメージで、理想を描き購買意欲と商品への期待が高まったところで、夢への第一歩としての商品価値を擦り合わせる
- オブジェクションハンドリング:「買わない理由」を否定せずにハンドリングし、買わない理由を解消する。事前に想定反論を洗い出し、応酬話法を用意しておく
- アンカリング:商品を選ぶ際の判断基準を設定する。自社品の強みが活きる土俵で勝負するための、事前の刷り込み
- Close(クロージング)
- 差別化:アンカリングで設定した判断基準で他の商品と区別することで、自社品が必然的に有利になり、顧客に選ばれる
- イメージ喚起:購入直前の不安感を解消するため、実際に使ったときのイメージやメリットを喚起し、さらに買いたい気持ちを高めてもらう
- クロージング:ここまでの商談を振り返ってメリットとデメリットをまとめ、デメリットを改めてハンドリングすることで合理的な判断であることを確認する。その上に顧客の「思い」を乗せて、背中を押す
アンカリングはこの型の7番目、Control フェーズの最後に位置します。直後の「差別化」は、アンカリングで合意した基準があって初めて機能します。逆に言えば、基準の合意なしに差別化を始めることは、土俵を決めずに勝負を挑むことです。私は、アンカリングを商談をコントロールする上で最も重要なスキルだと考えています。
この型は、個人が商談を組み立てるための道具であると同時に、組織の共通言語にもなります。商談フェーズと組み合わせれば、関係構築は得意だがニーズの把握で止まる担当者、ニーズは掴めるがコントロールできずクロージングまで行けない担当者、というように、案件がどのポイントで止まっているかを同じ言葉で確認できるからです。
アンカリングの準備と実行
アンカリングの全体像は、次のように整理できます。
前提
- 中立性を維持すること
- ヒアリングをベースに進めること
「商談をコントロールする」と聞くと、横柄な態度を想像する方が多いと思いますが、そうではありません。コントロールするためには、コントロールしようとしている感じをゼロにしなければ意味がありません。
準備(事前の設計)
- 自社の強みの洗い出し(競合との比較)
- 顧客メリットの整理
- 必要性のロジックの整理
- 裏付けとなるデータと実例の用意
実行(商談の場)
- 他社にも確認してもらう
- 選定基準を合意する
準備の4項目が揃っていないと、アンカリングのトークは設計できません。準備にあたっての注意点が2つあります。
注意点1:売りにしたい点は強みではない
「うちの商品はおしゃれだ」という点を売りにしていても、他社品のほうがおしゃれだということはよくあります。この点でアンカリングをかけると、「おしゃれな商品を選ぼう」という基準が合意された結果、「それなら競合Aの商品がいいですね」となってしまいます。
必要なのは、自社品と他社品の強みと弱みを徹底的に洗い出し、勝てるポイントでアンカリングを設定することです。「売りにしたい」という気持ちではなく、強みから逆算してアンカリングを設計します。
2020年に営業マネージャーとしてチームの型を作り直したときも、この区別から始めました。「特徴」は自社サービスとして推したいポイント(自社軸)で、「強み」は特徴のうち他社と相対比較したときに勝っているポイントです。他社の特徴を洗い出して○×の比較表を作り、勝っているポイントに絞って「A社と競合したらこの強みで押す」といった形に再設計しました。
注意点2:機能とメリットは同じではない
多くの営業担当者は機能をアピールしますが、機能そのものに価値はありません。価値があるのは、その機能によってもたらされるメリット(便益)です。デモの組み立ても同じで、「こんな機能があります」から始めるのではなく、「営業組織ではこういう指標を見る必要がありますよね」「それはこのレポートで見られます」「そのためにここを1クリック入力するだけです」という順に、メリットから機能へ降りていく方が伝わります。
実行の2つのポイント
準備が揃ったら、商談で使えるようになります。実行のポイントは「他社にも確認してもらうこと」と「選定基準を合意すること」の2つだけです。
他社にも確認してもらうというのは、極めて中立的な進め方です。「絶対に他社と比べて勝てるポイント」について「これが大事ですよね」「そうですよね」と合意し、そのうえで「実際にA社さんの機能や条件も確認してみてください」と伝えます。その結果、顧客が「やはりこちらですね」と判断して成約に至る。これが最もきれいな形です。トップセールスの中には、これを他社に対して「落とし穴」を掘っておく、という言い方で日頃から実践している方も多くいます。
ミネラルウォーターの例題
身近な例として、ミネラルウォーターで考えてみます。飲んでいる人が比較的少なそうな「コントレックス」を売るつもりで、アンカリングを組み立ててみます。なお、ここで挙げる商品の評価や効果は、組み立て方を示すための例で、詳細を確かめたものではありません。
準備1:強みの洗い出し
まず、競合と比べた特徴を○×で評価します。比較対象は、いろはす、アルプスの天然水、エビアン、コントレックスの4つです。次の表は、特徴ごとにコントレックスとほかの3商品の評価を並べたもので、特徴の横の括弧に、それがもたらす顧客メリットを書き添えています。
| 特徴(顧客メリット) | コントレックス | ほかの3商品 |
|---|---|---|
| デザイン(おしゃれができる) | ○ | エビアン◎、いろはす△、アルプスの天然水× |
| 信頼性(安心できる) | △ | いろはす・アルプスの天然水・エビアンは○ |
| エコロジー(環境を保全できる) | ○ | いろはす◎、エビアン○、アルプスの天然水△ |
| 価格(節約できる) | × | いろはす・アルプスの天然水は○、エビアン△ |
| 成分(健康になる) | ◎ | エビアン○、いろはす・アルプスの天然水は△ |
コントレックスが他を明確に上回るのは「成分」だけです。価格ではむしろ最も不利です。したがって、強みは「成分(ミネラル含有量)」に決まります。
準備2〜4:メリット、必要性、裏付け
- 顧客メリット:成分が良いことによるメリットは「健康になる」ことです。
- 必要性のロジック:水を買う機会の多い層を想定すると、たとえば「ダイエット」は刺さりそうです。「夏場の水分補給は欠かせない」という入り方もあります。
- 裏付けと実例:コントレックスは超硬水で、日本の水の20倍以上の硬度があり、カルシウムやマグネシウムといったミネラルが豊富です。ダイエット、肌荒れの改善、便通の改善といった、いわゆるデトックスの効果が期待できるという記事やエビデンスは、調べれば多く見つかります。
ここまで揃えば、アンカリングを組み立てられます。
実行:質問で基準を健康に寄せる
トークは、質問を中心に組み立てます。
- 「どんなときにお水を買うんですか」
- 「水を選ぶ基準は何ですか」
- 「いつも何を飲んでいますか」
- 「糖質やカフェインを余計に摂りたくないから、水を買うんですか」
- 「成分の違いを考えたことはありますか」
- 「水分補給以外の、健康へのメリットはご存じですか」
- 「価格差はどれくらい気にされますか」
- 「水を飲んでいる方って、健康的なイメージがありますよね」
こうした質問で、少しずつ「健康」という方向へ導いていきます。厳密には、すべての顧客に「健康」だけで対応するのは無理がありますが、方向づけの例として見てください。そのうえで、次のような話に展開していきます。
- 「硬水と軟水の違いは意外と大きくて、成分を見ると歴然なんです」
- 「水で健康を意識するなら、ミネラルの含有量が重要です」
- 「なぜなら人の体は……」と根拠を示す
- 「ペットボトルの裏に成分表が載っているので、ほかの商品と比べてみてください」
- 「ミネラルの含有量が多いと、便通が良くなったり、ダイエットに効果的だったりします」
- 「最終的には、マグネシウムの含有量で選べば間違いないと思います」
この順で進めると、顧客は次のような決め手で、自然とコントレックスを選ぶようになります。
- 「数十円(月に数百円)くらいなら、少し高くても健康のためにコントレックスにしよう」
- 「ボルビックといろはすの成分表を見比べた結果、コントレックスが一番いい」
実行の2項目に当てはめると、「他社にも確認してもらう」は「ほかのミネラルウォーターの成分表を確認していただく」ことであり、「選定基準の合意」は「水を買うのであれば、健康のために成分で選ぶのが良い」と合意することです。
商品の名前を出さない
この流れの中で一番大事なのは、基準が合意されるまで商品の名前を出さないことです。
先に商品の話をしてしまうと中立性が損なわれ、信頼を失って「業者」の立場に下がってしまいます。そうなると、基準の合意はできなくなります。先に差別化、つまり押し売りをしてしまうと、商品の選定基準が合意できず、結果として顧客のニーズにもはまらなくなります。
多くの営業担当者は、基準の合意までの間に「うちの商品は〜」と話してしまいたくなるものです。そこをこらえることが、アンカリングのコツです。
このようにアンカリングを設計して商談をコントロールできれば、狙い通りの成果を出しやすくなります。どんな商品でも、その特徴と強み、そして競合を理解してアンカリングを設計すれば、商談を有利に進めることは可能です。先に競合にアンカリングをかけられていた場合の覆し方(アンカリング返し)や、競合が訴求してくるポイントを見据えた落とし穴の設計といった応用もありますが、ここでは扱いません。
商談における沈黙の位置づけ
ここからは、もう一つの技術である「沈黙」です。
2020年5月30日に開催された Sales No.1 Grand Prix(通称S1グランプリ)で優勝した Mtame社の橋口浩暉さんが、プレゼンテーションの中で商談時の沈黙を取り上げ、会場が盛り上がりました。注目された背景は、過去に受注した商談では、1商談あたりの沈黙の回数が平均8回多かったという分析結果です。
このプレゼンテーション以外にも、次のような話はある程度知られています。
- トップセールスほど沈黙を恐れない
- トップセールスほど「間」をうまく使う
- 沈黙で「落とす」
この記事でいう沈黙とは、商談の中で営業担当者が意図的に話さない時間をつくり、顧客が自分で話し、考え、決めるための時間を確保する技術です。商談の中で意図的に沈黙をつくることで、交渉を優位に進めたり、欲しい情報を聞き出しやすくなったりします。人は会話の中の沈黙をストレスに感じることもあれば、間を心地よく感じることもあります。話すことと同じくらい、話していない時間の使い方も重要です。私自身も、意図的に沈黙を使う場面があります。
ただし、沈黙は商談の全体像から見ればごく一部のスキルです。私は、商談を「商談というコミュニケーションの型を通じて、顧客の購買意欲を高める行為」と定義しています。商品やサービスの魅力を伝えるコミュニケーションを五感で分解すると、次の表のようになります。
| 感覚 | 商談での手段 |
|---|---|
| 視覚 | ドキュメント(資料によるスライド提示、メモとしてのホワイトボードなど)、実演(デモンストレーション) |
| 聴覚 | 会話(話す=プレゼンテーション、聞く=ヒアリング、黙る=沈黙) |
| 触覚 | トライアルの実施など |
| 嗅覚 | 物件の内覧など |
| 味覚 | 試食など |
触覚・嗅覚・味覚は、対面の商談以外の場面で使われることが多いものです。こうして並べると、沈黙は聴覚の中の会話の、さらに一部にすぎません。よく話すイメージが強い営業という仕事で「沈黙が重要」と言われると意外性があるため、相対的に重要に見えている面があります。一方で、話す・聞くについてのノウハウは世の中にたくさんあるのに、沈黙の技術はあまり語られてこなかったのも事実です。
良い沈黙と悪い沈黙
良い沈黙を定義するために、まず目的を明確にします。商談で沈黙に求める効果は、次のようなものです。
- 相手に譲歩してもらう(交渉を優位にする)
- 話しづらいことを話してもらう、教えてもらう
- 本音を話してもらう
- 主体性に欠ける参加者に、商談に参加してもらう
- より深く考えてもらう
- 意思決定をしてもらう
これらをまとめると、沈黙の目的は、顧客に次の3つをしていただくことです。
- 話していただく
- 考えていただく
- 意思決定していただく
加えて、それぞれを受け入れていただくことも含みます。この記事の沈黙の部分で最も重要なのはここです。
この3つの目的を外して沈黙を使うと、単に失礼な営業担当者になってしまいます。たとえば、顧客からの質問に対して黙ってしまうと、「無視しているのか」「この質問にも答えられない知識レベルなのか」「答えられないのは何かやましいことがあるのか」と、不信感しか与えません。使い方を誤ったときのダメージは大きいので、正しく使うには、使ってよい条件を守る必要があります。
沈黙を使ってよい3つの条件
沈黙は効果が大きい反面、失敗したときのダメージも大きい技術です。顧客の心証を害しては意味がないので、次の3つの条件を押さえておきます。
- こちらから問いかけているとき
- 相手が何か(意思決定や回答)を渋っているとき
- 相手の言動や態度に落ち度があるとき
この3つの条件のもとであれば、沈黙が失礼になる可能性は基本的に低くなります。ただし、もともと失礼のない対応ができていることが前提です。
条件1:こちらから問いかけているとき
こちらの問いかけに対して顧客が「うーん」と黙ってしまっても、追加の質問を重ねたり、質問そのものを引っ込めたりせずに、回答してくれるまで沈黙を保ってかまいません。我慢比べのようなものですが、かなりの確率で相手のほうから口を開いてくれます。
条件2:相手が回答や決定を渋るとき
これは、質問への回答ではなく「合意」がほしいときに使います。クロージングの場面が最もイメージしやすいと思います。よくあるのが、次のような流れです。
営業「〇〇円になります」
顧客「……」
営業「高いですか……? △△円ならいかがでしょうか」
これは典型的に沈黙を使ったほうがよい場面です。顧客が答えてくれるまで、営業担当者は話しません。そうすることで、意思決定していただける確率、あるいは条件が折り合わない場合でも本音を話していただける確率が大きく上がります。逆に、この場面で営業担当者が先に口を開くと、上の例のように、顧客が何も言っていないのに値引きが始まります。
条件3:相手の態度に落ち度があるとき
これは特殊で、難易度もリスクも高い使い方です。たとえば次のような場面です。
- 営業担当者をやや軽んじた、不遜な態度を取られたとき
- 無茶な交渉を持ちかけられているとき
こうした場面では、沈黙が対抗手段として有効になります。目的は、商談や交渉を対等な関係で進められるようにすることです。この使い方は、ある先輩から教わりました。
ここまでの3つの条件は、私が実際に意識してやっていることと、知人のトップセールス数名にヒアリングした内容をパターン化したものです。
二つの技術に共通すること
営業担当者が沈黙を「武器として使う」と言うと、横柄に聞こえるかもしれません。アンカリングの「商談をコントロールする」という言葉も同じです。しかし、私はどちらも、正しく顧客に価値を提供するための礼儀としてのスキルだと捉えています。
アンカリングは、顧客が迷わずに判断できるよう、何を基準に選ぶべきかを中立的な立場で一緒に整理する技術です。沈黙は、顧客が自分で話し、考え、決めるための時間を確保する技術です。どちらも、営業担当者が一方的に話し続けるのとは逆の方向を向いています。
顧客にとって価値のある商品やサービスを正しく届けることが営業担当者の役割だとすれば、その価値を伝えきれずに失注することほどもったいないことはありません。アンカリングは、トップになれるかどうかの分かれ目の一つです。ただし、生まれ持った才能ではなく、商品の特徴と強み、競合を理解して設計すれば身につけられる技術です。自在に使えるようになれば、どんな業界のどんな商品でも、再現性を持って成果を出せるようになると私は考えています。
個人の技術を、組織の型にする
ここまでは営業担当者個人の技術として書いてきました。最後に、営業責任者やマネージャーの立場から、この二つをどう組織で再現するかを書きます。個人が学んで身につけられる技術は、分解して型にすれば、組織でも再現できます。
まず、アンカリングの準備4項目のうち、「自社の強みの洗い出し(競合との比較)」は、本来、個人の仕事ではありません。特徴と強みを区別し、競合ごとに○×の比較表を作り、「A社と競合したらこの基準で押す」と決める作業は、組織で一度やれば全員が使える資産です。これを個人に任せると、担当者ごとに「売りにしたい点」でアンカリングをかけてしまい、勝てない土俵で戦う商談が混ざります。私が2020年にチームの型を作り直したとき、最初に手を付けたのがこの再設計でした。
次に、商談の型への組み込みです。同じとき、初回商談を「簡単なアイスブレイクと最低限のヒアリング」「資料での紹介」「簡易デモ」「ディスカッション(何を握るかまで決める)」の4段階に型化し、2段階目の資料での紹介にアンカリングを仕込みました。あわせて初回商談の資料も、プロダクトの機能説明を減らし、「なぜこの事業をやっているのか」「何を実現したいのか」から入る構成に改訂しました。基準が合意されるまで商品の名前を出さない、という原則を個人の我慢に頼るのではなく、資料と進行の順番そのものに埋め込んだということです。
三つめは、商談レビューです。型を作っても、使われているかどうかを誰も確認しなければ、型は資料の中に残るだけです。案件レビューで、担当者に次のことを聞きます。
- この案件で、顧客と合意している選定基準は何か
- その基準は、競合比較で勝てる基準か。それとも「売りにしたい点」か
- 他社の条件を、顧客に確認してもらったか
この3つに答えられない案件は、顧客から「この商品いいね」と言われていても、最後に基準を変えられて負ける可能性の高い案件です。逆に答えられる案件は、受注の見込みを担当者の感触ではなく、合意の有無で読めます。2020年の例では、商談フェーズを「担当者との合意」「意思決定者との合意」「時期と金額の合意」のように、誰と何を合意したかで区切り直しました。フェーズを進める難易度は上がりましたが、その分、売上見込みの精度が上がりました。
沈黙は、アンカリングに比べると型にしにくい技術です。それでも、S1グランプリの分析が「受注した商談は沈黙の回数が平均8回多かった」という数字を出せたのは、商談を記録して数えたからです。商談の録音や文字起こしが当たり前になったいま、良い沈黙の3つの目的と3つの条件を共通言語にしておけば、マネージャーは同席やレビューで「ここは黙って待つ場面だった」と具体的に指摘できます。条件2で挙げた、顧客が黙った直後に営業担当者が値引きを口にする場面は、その典型です。
商談の型を作ることと、型が使われて成果につながっているかを確認し続けることは、別の仕事です。前者だけでは、商談は整っても管理は変わりません。SHOGUNでは、後者、つまり何を測り、誰がいつ判断し、決めたことが実行されたかをどう確かめるかを営業マネジメントと呼び、営業改革の中核に置いています。アンカリングと沈黙は個人の技術ですが、組織として成果を再現できるかどうかは、型を作った後に、マネージャーがレビューで確認し、結果を見て型を直す運用が続くかどうかで決まります。

